人間が成長するのにおいて(人からの)教育だけがすべてではないのはそうではある。上手い人の中には独学でやる人もいるわけだからな。しかし、それは他の分野や学問においてはまた違ってくると思う。

教育した方がいいと考えたから義務教育を始めたわけで、科学(自然科学や医学、農学、工学など)や経済学、法学、心理学などは研究とそれを応用や発展させるために、かつ人材育成も含めて大学という形でそういう研究兼教育機関を作ったわけです。 だから教育が不要かというとそういうわけではない。ただどこに、何を教育するべきとかそういうのは考えるべきであって、そういう場合分けしたりすることが必要だと思う。 もちろん、義務教育という最低限の教育以外は受けた人だけが受ければいいと思っているので強制はしないし、全員が大学に行く必要はないと思う。大学に行かなくて生活できたり、貢献できるならそれでいいし、自分の得意なところで稼いだり、結果を出せばいいと思う。

話は少し変わるが、経済が良くなって暇ができると人間は何かするようになり、それがきっかけで(古代ギリシアで)「哲学」というものが生まれ、数学や物理などの自然科学などが発展しましたからね。 それを後世に残し、更なる発展をさせるために記録を残したり、弟子に教えたりしたのを経て(大学みたいな)教育機関アカデメイアやリュケイオン)やムセイオン(王立図書館/王立研究所)ができたわけですし、中世ヨーロッパでも似たように学問と大学ができたわけですよ。だから教育と文明、教育と哲学のどちらが先かと言えば文明、哲学になります。自然科学などが哲学を経て学問化したように絵(イラスト)や文学(小説など)とかもそれが発展してそれを突き詰めようとすればそれは一種の学問になるんですよね。もちろん、哲学も突き詰められて学問になっている。